またまたヴァン・クライバァーンをウン十年振りに聴いて
2009年 02月 19日
ラフマニノフピアノ協奏曲op18聴いて見て下さい。

ニューヨーク五番街オープンカーパレード

ご存知でしょうがヴァン・クライバーンはチャイコフスキー国際コンクール第1回優勝者です。
チャイコフスキー国際コンクールの第1回が開催された1958年の世界情勢は,ソビエトとアメリカの冷戦時代の真っ只中で,この2大国は世界世界中に国力を誇示するためにありとあらゆる分野でしのぎを削っていました。
このコンクールの前年にソビエトは,人工衛星スプートニクによって宇宙開発の分野でアメリカの先を越し,そして芸術の分野でも優位に立つべく翌年の1958年に第1回のチャイコフスキー国際コンクールの開催を発表しました。
当然のごとくソビエト政府は,最高の訓練を受けたコンクール要員を何人も用意し,最高の状態でコンクールに臨んだのでした。
しかし!ソビエト政府の思惑どうりににはいかなかったのです、こともあろうに,当時の宿敵アメリカに優勝をもっていかれたのです。
そして,その優勝者がヴァン・クライバーンでした。
コンクールに参加したときのクライバーンは,ほとんど無名でした。
このアメリカの一青年が,ソビエト政府の用意した強者たちを蹴散らしたのだから,アメリカ国中が大盛りありだったのは言うまでもありません。
当時のアイゼンハワー大統領自ら空港まで出迎え、写真にもありますがニューヨーク五番街をオープンカーパレード、その後出したチャイコフスキーピアノ協奏曲は300万枚を超える驚異的な売り上げとなり、1861年にはヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールが誕生、1966年来日(この時私は上野文化会館のコンサートに行ったのですが遠い昔で何を聴いたか覚えてません、今の天皇と美智子皇后が聴きに見えてたのだけ覚えてます)しかしツアーではチコフスキー・ラフマニノフばかりを弾かされ、批評家の辛辣な批評に耐え兼ね故郷のテキサスに引き籠もり、1978年円熟期とも言える43歳で引退してしまいます。
周りに振り回され嫌になったんですね,気の毒でしたね。
1980年代に後半に復帰するも、その活動範囲は限られている様です。
(1996年1997年・2000年に来日)1回チャイコフスキーコンクールで優勝したとき,故郷を離れたラフマニノフにはるばるロシアの土をアメリカに持って帰って,ラフマニノフの墓前にお供えしたという、彼の人柄を表す話もあったそうです。
以上はCD・レコード解説より。
今のクライバーンはどんな演奏をするのでしょうか聴いてみたい気がしますが、若い溌剌としたクライバーンにまた嵌まりました。

